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うなぎ料理あさだ 高橋 勝彦さん

―日本橋浜町。かつては広大な武家屋敷が広がっていた、古くから続く江戸のまち。歴史と伝統を受け継ぎながら変わりゆくまちの息遣いと魅力を、このまちで働き、暮らしを営む人々の言葉を通して紐解いていきます。

今回ご紹介するのは、日本橋浜町で長年愛されているうなぎ屋さん「あさだ」の店主、高橋勝彦さん。もともと昭和33年に初代が蛎殻町にて創業し、平成元年に高橋さんのお父さまが浜町で移転開業。65年もの間受け継がれてきた味と技を守る三代目店主の高橋さんに、店への思い、日本橋浜町への思いを語って頂きました。

 

名店で磨いた技を活かして3代目店主に

―「あさだ」の創業は今から65年前の昭和33年とのこと。

もともと蛎殻町で父の姉にあたる伯母夫婦がはじめたのが最初でした。店主だった伯父が“浅田”姓だったことから、「あさだ」という店名がついています。その暖簾を継いだのが私の父です。

―お父さまも料理人だったのでしょうか?

それが違うんです。もともとサラリーマンだったのですが、私が高校生のときに突然、「会社を辞めて店をやる」と言い出して。家族みんなびっくりです。「どんなお店をするの?」と聞くと「うなぎ屋」だと。その数年前に、「あさだ」は店を閉じていたため、自分が代わりにうなぎ屋をやると言うんです。それを聞いて喜んだのは前店主の伯父。「だったら自分が教えるよ」と技の伝授を申し出て、父は晴れて脱サラ生活。こうして平成元年(1989年)の12月、浜町にあった木造二階建ての我が家はある日突然、うなぎ屋として改装されることに。今、お話をしている2階のこの場所はかつて私の部屋があった場所ですよ。

 

―その後30年に渡ってお父さまがお店を営んでいる姿をどのような思いで見ていたのでしょう。

店から少し離れたところに新たに自宅を構えたこともあり、店の様子を詳しく知ることはあまりなかったのですが、父が毎日一生懸命にうなぎを焼き、母が付け合わせのぬか漬けを作っていることは分かっていました。そんな両親が作るうな重を楽しみに、店内はいつもお客さんで賑わっており、町会や近隣の企業の宴会もよく行われていました。

―一方の高橋さんは、学校を卒業後、一般企業に就職されたとか。

輸入車販売会社に就職し、メカニックとして働いていました。もともと手先が器用な方だったので技術職を選んだのですが、せっかく手先を使うなら、父親のように料理の技術を身につけ、人の喜ぶ顔を直接見られるような仕事に就きたいと思うように。そこで22歳で会社を辞め、うなぎの名店として知られる銀座の「竹葉亭」に自分で電話をかけ、修行に出ることに決めました。

―竹葉亭といえば、創業150年以上という都内屈指の老舗鰻料理店です。

竹葉亭でまず驚いたのが先輩方のうなぎを調理するそのスピードです。1匹さばくのに1分もかからない。短時間でさばくことで身に血が残り、美しい色に焼きあがるんです。もし、時間をかけてさばくと、血が流れ落ちて身が白くなり、味も見た目もレベルが落ちてしまう。うなぎはスピードが命なのだと知りました。竹葉亭では、串打ち、白焼き、蒸し、焼きなど、それぞれの工程に必要な伝統の技をイチから学びました。

―そして、7年前に他界されたお父さまの跡を継ぎ、現在はお店の3代目として店を守ることに。

突然のことでしたが、自分が生まれ育った家で父たちが守ってきた味を楽しみにいらっしゃるお客さまの期待に応えたいという思いで店に立つことにしました。店には65年もの間、受け継がれてきた「あさだ」自慢のタレと母が毎日、野菜を漬けていたぬか床があります。それをまずは自分が変わらずに受け継ぎ、修行で培った技を活かして、毎日、うなぎをさばき、焼いています。

 

 

店を通してまちの役に立てたら嬉しい

―生まれも育ちも日本橋浜町の高橋さんはまちの変化もずっと見てこられました。

私が幼い頃は民家や商店がたくさん並んでいて、裏通りからは東京タワーも見えたんですよ。小中学校の同級生には魚屋や寿司屋など商売をやっている家の子どもたちがたくさんいました。町会の行事で潮干狩りや福島県の常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)など、旅行に行ったのも懐かしい思い出です。

みんなでよく遊んでいたのは、水天宮。境内の一階部分に駄菓子屋があって、そこで買った駄菓子を食べながら遊んでいましたね。確か、毎月5日に縁日が出て、そのときしか食べられないソースせんべいやあんず飴、すもも飴をどれだけ楽しみにしていたか(笑)。

銭湯にも子どもだけでよく行っていましたよ。湯舟のお湯が熱くて、水をガンガン入れていたら「そんなに水を入れるもんじゃない!」と他のお客さんに怒られたりしてね。今では銭湯も無くなって、ビルばかりのまちになってしまいました。

―逆に、昔と変わらず残っているものはどんなことでしょうか。

いちばんはお祭りですね。神田祭では、大人の神輿だけではなく子ども神輿も出て、老若男女問わず大盛り上がり。僕たちが小さかった頃の子ども神輿は、酒樽の上にウルトラマンの人形を乗せた大人たちのお手製神輿でしたが、今は立派なお神輿になりました。夏の盆踊りでは、みんなで浜町音頭を踊って、屋台で食べ物を買って賑やかに過ごす。こうした行事は今も変わらず残っていて、下町らしさを感じます。

最近では、マンションが次々に建って、新しい住民の方もどんどん増えています。昔からあるイベントには参加しづらいといった声もあるそうですが、まずは、地元住民として、お祭りやイベントを躊躇せずに一緒に楽しんでもらいたいです。

―今後、まちとどのように関わりを持っていきたいと思っていますか?

今までと同じように美味しいうなぎを焼いて、皆さんに喜んでもらいたいです。地元だけではなく、遠方からわざわざ足を運んでくださる方も少なくありません。浜町に初めて来た方などはお店の場所がわからず、迷われる方も。そうしてまでいらしてくれたお客さんに、「やっぱりここを選んでよかった」と思えるような美味しいうなぎを出すのが自分の役割だと思っています。

お店には、お客さまが自由に記入できる芳名帳があるのですが、中には食事の感想やうなぎの絵などが書かれていて、それぞれに思いのこもった時間を過ごしてくださったことが分かります。これからも伯父や父が創り上げた「あさだ」の味とこの店を守りながら、皆さんが笑顔になれる料理と時間と場を提供し続けていきたいです。

 

うなぎ料理あさだ

中央区日本橋浜町3-36-2

営業時間:11:00-14:00/17:00-20:00(土曜日は19:00)

定休日:日曜・祝祭日

[取材日:2023.3.30]

写真:北浦汐見 文:堀 朋子

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