HAMACHO.JP
  • about
  • contact
  • privacy policy
大 小

日本橋久松町会 会長/株式会社佐藤万 会長 佐藤 寛さん

―日本橋浜町。かつては広大な武家屋敷が広がっていた、古くから続く江戸のまち。歴史と伝統を受け継ぎながら変わりゆくまちの息遣いと魅力を、このまちで働き、暮らしを営む人々の言葉を通して紐解いていきます。

今回ご紹介するのは、全国のお祭り用品を扱う卸問屋「佐藤万」の会長で、久松町の町会長も務める佐藤 寛さん。日本橋浜町で東京大空襲を経験し、昭和、平成、令和とまちの変遷を見届けてきました。仕事でも町会でも、祭りに大きく関わっている佐藤さんが、これからのまちづくりに期待することはどんなことなのでしょう。

ビートルズの法被姿が社業のヒントに

―「佐藤万」の創業の地は浜町だそうですね。

もともと父は神田の紺屋町でさらしや手ぬぐいを染める仕事をしていたそうです。母との結婚を機に浜町二丁目で商売をはじめたのは昭和10年のこと。現在の久松町に移ったのは、戦後の昭和24年になります。

―佐藤さんは浜町で東京大空襲を体験されたとのこと。

そうなんです。といっても、私は2歳でしたので、記憶にはありません。その頃、父は有馬の駐屯地に勤めていて、他の兄弟は疎開していました。まだ幼い私だけが父と母と一緒に浜町に残っていたのです。

そして、昭和20年(1945)3月10日未明の大空襲。両親は私に防空頭巾をかぶせ、その上から水をかけ、明治座に避難しようと逃げ走ったそう。ところが、もう少しで明治座の中に…というところで、「ここはもういっぱいで入れない」と止められて。両親は、「熱い、熱い」と泣く私を抱きかかえ、小川橋の方へと向かったわけです。結果、両親と私は助かり、明治座に避難された方々の多くが亡くなられました。自分は生かされた命なのだと思い知らされますね。

―戦後は久松町に移り、佐藤さんも家業を継がれました。

最初の東京オリンピックが開催された昭和39年(1956)に父が急逝し、2歳上の兄が後を継ぐことになりました。当時、私は大学4年生。商社に就職も決まっていたのですが、兄に会社を手伝ってくれないかと懇願され、家業に入ることに。兄は経理、私は営業を担当することになりました。

―社内にはさまざまな袢纏(はんてん)やお祭りの衣装などがたくさん飾られています。

実は、お祭り用品をメインで扱うようになったのは私のアイデアなんですよ。きっかけは、昭和41年(1966)のビートルズの来日。これでピンと来た方もいるでしょうか?ビートルズのメンバーが羽田空港に到着し、飛行機のタラップから降りたときに法被を着ていたんです。それをテレビで見た瞬間に「これだ!」とひらめいて。

もちろん、以前から袢纏は扱っていたのですが大工や植木職人が羽織る藍染めのものが主流でした。それを、手軽に染められる手捺染(てなっせん)で祭り袢纏を作ることにしたんです。

そこから“お祭り用品を扱う問屋”として、踊りやお祭りで着る浴衣、帯、鯉口シャツ、ハチマキ、足袋などありとあらゆる祭り用品を仕入れるようになりました。

―まさかビートルズがきっかけだったとは!

そうなんですよ(笑)。そこから全国で開催されるお祭り用にいろんな注文を受けました。もちろん、地元日本橋地区の盆踊りや神田祭の浴衣に袢纏。それぞれの町会ごとに柄にもこだわってね。平成に入ると、YOSAKOIブームが全国に広まり、おどり袢纏もたくさん卸させて頂きました。

弊社で扱っている商品を一冊にまとめた「日本の歳時記」というカタログがあるのですが、そこには6000点以上もの踊り用品や祭り用品が載っているんですよ。日本ならではのお祭りやイベントに参加したい!というニーズに完璧にお応えしています。

お祭りを楽しむ人たちをもっともっと、増やしたい

―佐藤さん自身も大好きで、仕事でも大きく関わっているお祭り。今年は3年ぶりに各地で開催されています。

待ちに待った!という気持ちですね。我が久松町町会の納涼盆踊り大会も久しぶりに開催できました。しかも、今年は初の試みとして、お隣の富沢町町会と共催で久松小学校のグランドをお借りしての開催。コロナ禍でもあるし、皆さん来てくれるかな?と心配していたのですが、蓋を開けてみたら、なんと2000人もの方が来場されたんです。これにはびっくり!皆さん、お祭りを心待ちにしていたのですね。

―お祭りは、同じ地域で暮らす人同士が顔合わせる絶好の機会ですからね。

最近ではこのあたりも商店や戸建ての家がすっかり減り、マンション世帯が増えました。どんな人が住んでいるのか顔が見えにくいだけではなく、町会活動に関心を持たれる方もどんどん少なくなってきています。そうしたなか、お祭りを通して町会の存在を知ってもらうのは大切なことです。

―久松町町会は幼稚園や小学校があるので、子どもたちが関わるお祭りも多いですよね。

そうなんです。毎年1月の半ばにおこなれる「久松幼稚園地域巡り」なんかは伝統がある行事なんですよ。園児が手作りの獅子頭を被って獅子舞踊りをしながら久松町会の地域のお店を巡るんです。日本の正月の伝統行事である獅子舞を子どもたちが守り伝えていってくれる。こうした行事は絶やしたくないですね。

―今後はどのようなまちづくりを期待していますか?

住民の皆さんには、“お客さん”といった第三者的な立ち位置ではなく、まちで暮らす当事者として、一緒にお祭りやまちづくりを運営する町会員として参加してほしいというのが本音。サポーターとして、手伝いのところから祭りに参加するのも案外楽しいもんですよ。

最近では、神田祭の神輿の担ぎ手不足に悩んでいる町会も少なくありません。こうした町会は合同で神輿を担ぐというのもひとつの方法かもしれませんね。まちもどんどん様子が変わってきていますが工夫をしながら魅力的なまちにすることはとても大切だと思っています。

―久松町や浜町エリアでお気に入りの場所をぜひ教えてください。

最近の私の憩いの場所になっているのが会社のすぐ向かえにある『Bontin Cafe(ボンタンカフェ)』。同業者がはじめたカフェで、店内には外国人にも興味を持ってもらえそうなモダンな柄の浴衣やきもの、和装小物が飾られ、自家焙煎するこだわりのコーヒーを飲むことができるんです。私はいつもカフェラテを飲むのですがとても美味しいんです。そうした新しい挑戦をやっているというのにも惹かれますね。

住む人も会社もお店も、それぞれが工夫を凝らしながら、自分たちが楽しみ、人を楽しませる。そうした江戸っ子の気質もまた次世代に受け継ぎたいですね。

株式会社佐藤万

住所:中央区日本橋久松町6-5

電話:03-3664-3611

http://www.nihon-no-saijiki.co.jp

[取材日:2022.8.3]

写真:鈴木 優太 文:堀 朋子

PAGETOP