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紋章上絵師 福田昭三さん

―日本橋浜町。かつては、広大な武家屋敷が広がっていた古くから続く江戸の街。歴史と伝統を受け継ぎながら、変わりゆく街の息遣いを、そこで働き暮らしを営む人々の言葉を通して魅力を紐解きながらお届けします。
今回は天皇陛下の御紋を描く紋章上絵師として活躍されている傍ら、呉服の染色仕上工としても名高い、福田昭三さんにお話を伺いました。

日本にある紋章の数は約6,000種類!

ーまず、紋章上絵師とはどんなお仕事なのでしょうか?

主に、お客様ご自身の家紋を着物に描いたり、またはオリジナルで紋章を作成したいという要望に応じて、好みを伺いながら紋章のデザインをしたりします。著名人の方や着物を着られる機会が多い歌手の方のご依頼がほとんどですね。日本には約6,000種類の紋があると言われていて、それらが記載されている紋帳というものがあって、それを見ずに描けないと紋章上絵師として一人前にはなれません。天皇家の紋、徳川家の紋、豊臣家の紋など、紋帳の中のものはすべて頭に入っています。

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ー紋章上絵師となったきっかけを教えてください

僕は山形の生まれなんですが、小さい頃から絵を描くのが好きで中学生の頃は全国原画コンクールで優勝したことも何度かありまして。当時の担任教師の親戚が東京で染色店を営んでいて、担任教師に就職先として紹介されたんです。仕事内容を聞くと、着物の染めを描いて直したり、紋章を描いたりするというので、自分が好きな絵を仕事に出来るならと思い立ち、15歳の時に上京を決めました。正直なところ紋章なんて古臭いもの江戸時代じゃあるまいし、仕事なんてあるのかと不安もありました。ところが実際に来てみると、寝る暇もないくらい忙しくて(笑)。毎朝4時に起きて、夜中の2時まで仕事をする生活が続きました。当時の作業場は水天宮近くの蛎殻町にあったんですけど、師匠が浜町の方が気に入ってしまって、今の場所に引っ越ししたんです。

ー「ぼかし紋」を考案し、紋章界の革命児と言われていますね!

紋って白黒ばかりだったでしょう。なんで色付きのものがないんだろうと思い、作ってみたんです。ただの色付きではなくて、ぼかしを入れて。つまりグラデーションですね。全国紋章連合会で僕が東京代表として行った時に、この「ぼかし紋」を提案しました。すると、「初めて見た、どうやって作るんですか?」と皆さん驚かれて。その後「ぼかし紋」の技術が認められて特許を取得しました。僕だけが技術を持っていても広まらないので、興味を持ってくれた紋職人の方々に実技講習を行っています。昔は120人ほど紋職人もいましたが、今ではたったの10人ですよ。ですから、こういった技術はどんどん継承していかないとね。

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ー浜町音頭保存会の会長も務めていらっしゃると聞きました

昔は保存会の会員は年配の方が多かったので、昭和35年頃だったかな、誰もいなくなってしまったんですよ。これはまずいということで、盆踊りを生演奏に生歌でやってみてはどうかと提案しました。

僕は歌うのが好きなんですね(笑)。実際に盆踊りを生演奏と歌でやってみたところ、ポツポツと会員が増え、あっという間に100人にまで達しました。今では小さいお子さん達も会員として元気に踊ってくれています!浜町音頭は中央区の伝統芸能に指定されているので、若い世代に継承していこうと、昨年から中央区の小中学校にご協力いただいて、踊りを教える活動をしています。

ー浜町音頭はよくある盆踊りと違い、上品でほんのり色っぽい印象を受けました

そうなんですよ!振り付けをした三世藤間勘右衛門(七世松本幸四郎)は、「踊って楽しむ」ものではなく、「魅せる踊り」として浜町音頭を作ったと聞いています。とても女性らしく粋な踊りです。

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伝統技能士が多い街であることをもっと広めたい

ー浜町の魅力や今後の浜町に期待していること

俄かに何でもやってしまうと深みがないですよね。なんだかインスタントみたいで。真に修行してきた人というのはどんどん少なくなってきていますから、なんとか絶える前に若い世代の方々に繋げていきたいですね。浜町は自分の他にも経師屋さんなど伝統的な技能をもった人がいる街だから、そういう使命がある街だと僕は思っています。

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[取材日:2018.2.16]

写真:山﨑瑠惟 文:小野彩

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