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濱町神社 崇敬会 会長/浜町三丁目西部町会 前会長 安藤 誠一さん

―日本橋浜町。かつては、広大な武家屋敷が広がっていた古くから続く江戸の街。歴史と伝統を受け継ぎながら、変わりゆく街の息遣いを、そこで働き暮らしを営む人々の言葉を通して魅力を紐解きながらお届けします。今回は、濱町神社の崇敬会会長を務める町の重鎮・安藤誠一さんが登場。濱町神社の歴史などについてお聞きしました。

濱町神社は町の守護神

ー濱町神社は江戸時代からずっと、この浜町三丁目にあるんですよね。

天明年間(1781-89年)ここは島津家の下屋敷で、その庭内で島津稲荷大神を祀ったのが濱町神社の始まりです。明治20年にこの土地が分譲地として島津家の手から離れ「浜町三丁目」という町名になりましたが、神社は同じ場所に残りました。

ーそれ以来、“町の守護神”として、町民によって大事にされてきたんですね。

実は濱町神社には何度か存続の危機がありました。大正12年には関東大震災で被災し社殿が焼失。昭和20年にはふたたび戦災で焼失しました。その都度、崇敬会を中心に町の人が協力して神社を再建。私の父も崇敬会の責任役員をしていて、昭和27年の再建の時には周りの人と一緒に尽力したと聞いています。私も父の跡を継ぐ形で、13年前に崇敬会会長に就任しました。

ー13年前というと、ちょうど町の再開発でトルナーレ日本橋浜町などが出来た頃ですね。

再開発の話が立ち上がって、濱町神社もその対象のエリアに入っていました。当時は社殿をトルナーレの屋上に移転しようという話をする人も一部いたのですが、私は「絶対にだめだ!」と猛反対したんです。道幅の整備の関係で少し社殿の位置を動かすことになりましたが、なんとか同じ場所に留めることができました。そのこともあって、崇敬会会長を引き継ぐことになったんだと思います。

ーすごいですね! もしかしたら濱町神社は屋上にあったかもしれない…

すごくなんかないんですよ。濱町神社はこの浜町6地区が氏神様として大事にしているものだから、当たり前のことです。現在は毎月3日に神主さんがお祓いをする月例祭のために、崇敬会のみんなで境内を掃除したり、敬老祭など行事のことを仕切っています。また神田明神の氏子として神田祭に町を挙げて協力しています。この辺りの人は初詣も成人式も敬老祭も濱町神社でやるし、濱町神社がないとできない。濱町神社は町の守護神なんです。

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若い人がもっと町会に参加してくれたらうれしい。

ー安藤さんは浜町生まれ、浜町育ちなんですよね?

そう。昔は和菓子屋をやっていました。でも浜町は問屋さんが多い地域だから、ここらへんだけで商売するのは難しいんですよ。周りの商売人を見習って、町外の小学校や電話局の売店なんかに大福やおまんじゅうを配達して卸していました。和菓子だけじゃなくて餅や飴なんかも作ったりして、なんでも屋でしたよ(笑)。でも浜町もずいぶんと変わって、人やお店が増えましたね。再開発の前は400世帯くらいだったのが、いまでは1200世帯くらいになっていますし。

ー町が賑やかになってうれしいですね。

そうですね。でも、新しく町に入ってきた若い人も、町会の活動に入ってきてくれるとうれしいなと思います。人が増えた分、町会の役員が不足しているんです。お祭りや神輿を担ぐ時にはたくさんの人が出てきて町の人と触れ合うけれど、マンションに暮らす普段の生活では隣の住民と「おはようございます」なんて挨拶することもない。なかなか難しいと思うけれど。若い人が町会に参加してくれると、もっと町に元気が出るでしょうね。

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ーちなみに安藤さんは浜町のどんなところが好きなんですか?

うーん特別ないけれど、自然に好きなんでしょうね。生まれてからずっとここにいるんだから。

ーこれからも町とともに濱町神社が在り続けるといいですね。

守っていかなきゃならないでしょうね。やらないといけないという気持ちがある。ただもう80を超えているし、誰かがバトンタッチしてくれるなら、お役目を任せたいけれどね(笑)。町に増えてきた飲食店やトルナーレでやっている浜町マルシェなどのイベントも、ますます盛り上がってくれたらと思います。

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[取材日:2017.5.19]
写真:山﨑瑠惟 文:井上麻子

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