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浜町三丁目西部町会 町会長 宮崎紀久司さん

日本橋浜町。かつては、広大な武家屋敷が広がっていた古くから続く江戸の街。歴史と伝統を受け継ぎながら、変わりゆく街の息遣いを、そこで暮らしを営む人々の言葉を通して魅力を紐解きながらお届けします。

今回は、浜町三丁目西部町会町会長の宮崎紀久司さんをお訪ねし、昨今都市では薄れてきた町会というコミュニティの重要性についてお話をおききしました。

終戦直後は焼け野原だった日本橋浜町

ー日本橋浜町には、いつ頃からお住まいなのですか?

昭和14年にここで生まれて、戦時中は母の実家である福島で疎開をしたのち二子玉川に引っ越しをしました。戦後間もない昭和21年になって浜町に戻ってきました。時代がら、そのときは荷物は牛車で運んできたものです。まだその頃は、浜町のどの場所からも清洲橋が見えるくらい、空襲で焼け野原になってました。

ーでは、70年もこちらにお住まいなのですね。

そうですね。このまちで幼少期から定年まで過ごしてきまして、今では、Fタワー、スカイゲート、トルナーレなどのビルが建って様変わりしていますよ。

浜町三丁目西部町会 町会長 宮崎紀久司さん2

浜町三丁目西部町会の活動

ー町会は、どのような活動を行っているのでしょうか?

主な活動としては、年中行事として神田祭、初詣、健育祭、成人式、敬老祭、防犯防災交通安全活動、親睦会等の町のイベントを実施したり、中央区主催のクリーンデー(清掃イベント)や大江戸まつり盆踊り大会にも協力しています。このような取り組みを通じて、住んでいる皆さんが安心して暮らせるまちづくりを推進し、コミュニティづくりを行っています。中でも主な町会主催のイベントとしましては、正月の浜町神社の初詣、納涼盆踊り大会や運動会などです。初詣は400〜500人くらいの人が集まります。運動会には、子どもたちが大勢きましてね、去年辺りから子どもが増えていますね。

ー少子化と言われている中で、子どもが増えているのはすごいことですね。

中央区の特徴としては、保育園や幼稚園に入りやすいことですね。いまも近くに新しく保育園を建設中ですよ。町会としても、いまではこのまちで生まれ育ってきた会員が数えるほどしかいないので、このコミュニティで大事に子どもたちを育てていければと思っております。

ー大江戸まつり盆踊り大会も、盛り上がっていますよね。出店エリアには、日本中の食べものが楽しめるくらい充実していますね。

そうですね、毎年すごい盛り上がりです。中央区のお祭りでいうと銀座方面は銀座柳まつりのパレード、月島の方はもう終わってしまいましたが花火大会、そして、大江戸まつり盆踊り大会は日本橋五の部連合町会で協力しています。

ー年中行事などのしきたりを残すために町会としての工夫や苦労はございますか?

わたしを始め、副会長、会計部、総務部、社会文化部、青少年部、防火防犯部、交通部、婦人部、青年部などのセクションみんなで力を合わせ協力体制を築いて活動を続けておりますが、そろそろ、町会を引っ張っていく若い人を育てようと考えています。古い人は、父親の代から50年以上町会の仕事に携わっていますし、先代の会長は86歳でまちの生き字引です。少し町会も保守的になってきているので、若い人を育てるのは重要ですね。

浜町三丁目西部町会 町会長 宮崎紀久司さん3

当時と今の日本橋浜町

ー今の日本橋浜町と昔の日本橋浜町の変化は何かございますか?

昔は、「浮いた浮いたと浜町河岸」と歌われているように、浜町川(当時の掘割で今では埋め立てられ緑道になっている)がまだありまして、その川で泳いだり、釣り船、屋形船が河岸についているなど賑やかでした。

ー最後に、町会長にとっての日本橋浜町おすすめスポットを教えて下さい。

わたしが好きなのは、トルナーレの屋上からみる景色ですね。正月にはトルナーレ住民を対象に屋上が解放されるのですが、その時は素晴らしい日の出を見ることができます。もちろん隅田川の緑道も好きですね。

浜町三丁目西部町会 町会長 宮崎紀久司さん4

戦後の焼け野原から、今では様変わりした日本橋浜町。そこに住み、町会というコミュニティが一体となって街づくりに取り組む重要性を町会長は、晴れやかな笑顔で語ってくださいました。お話をお聞きした後、最後に町会長に連れて行っていただいたトルナーレの46階から眺める景色には、時代の変遷を通り抜けた街の息吹を感じました。時代時代の風景の違いに思いを馳せながら、日本橋浜町散策にでかけてみるのも一興ではないでしょうか。

[取材日: 2016.3.24]
写真:鈴木優太 文:本宮康晴

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