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中央区日本橋五の部 中洲町会 町会長 増田智之さん

日本橋浜町。かつては広大な武家屋敷が広がっていた、古くから続く江戸のまち。歴史と伝統を受け継ぎながら変わりゆくまちの息遣いと魅力を、このまちで働き、暮らしを営む人々の言葉を通して紐解いていきます。

今回は日本橋中洲で生まれ育ったという生粋の江戸っ子、中洲町会町会長の増田智之さんにインタビュー。11年間にわたって町会長として活躍されるほか、日本橋消防団の副団長として地域を支えるなかで感じる浜町・中洲エリアの魅力とは。さらに、地域との関わりで大切にしていることを伺いました。

「江戸っ子の口約束は証文よりも重いんだ」

増田さんは、生まれも育ちも日本橋中洲とのこと。昭和、平成、令和という時代の流れとともに変わりゆく、まちをずっと見てこられたのですね。

私は昭和29年生まれ。水天宮の裏にいた産婆さんに取り上げてもらいました。自分のなかでいちばん古いまちの記憶は、大川(隅田川)に荷物を運ぶ達磨船が何艘も停まっていて、その大川沿いには料亭がずらりと並んでいる風景ですね。夜になると大臣クラスのお客さんが料亭に来るもんだから、まちの隅々に警察官が立っていて。お正月には、黒い紋付のきものをまとった芸者さんたちが人力車でやってきてね。その様子が子ども心に印象深かったな。

そうそう、昔は隅田川の花火大会のときに新大橋で仕掛け花火をやっていたんだよ。増田クリーニング店の屋上に親戚が集まって、スイカを食べながら花火を観るのが楽しみでね。懐かしいなぁ。

賑やかだった様子が目に浮かびます。まちの様子が変わったのは首都高が通った1971年あたりでしょうか。

そうですね。それまでは浜町と中洲の間に箱崎川が流れていて。首都高が開通すると、川が埋め立てられ、男橋、あやめ橋、女橋も姿を消しました。ちょうどその頃から料亭も減り始めて。お客さんが新橋や神楽坂のほうへ流れていったんだよね。料亭だった場所には次々とマンションが建ち、一戸建ては今では数えるくらい。花火も見えなくなって……というか新大橋での花火も無くなってしまったしね。

逆に、変わらない風景というとどこがありますか?

清洲橋ですね。子どもの頃、悪さをすると、おやじやおふくろから、「おまえは清洲橋の下から拾ってきたんだよ。だから、清洲橋にとっとと帰れ!」って怒られるの()。清洲橋を見るとときどき、あの頃のことを思い出す。愛着のある場所です。

増田さんは現在、日本橋消防団の副団長を務められていますが、入団されたのはいつ頃なのでしょうか。

高校生のときに地元の先輩に「学校卒業したら消防団に入れよ」と言われて。「はい!」と返事するしかないよね()。それで、卒業した後、19歳で入団。江戸っ子の口約束は証文よりも重いんだ。

地域の人間関係の濃密さが伺えます。

「約束事は大切だ」ということも含めて、社会で生きていくルールは近所の皆さんに教わったようなもの。昔からわんぱく坊主で、近所の皆さんには小さい頃からお世話になってきたのだけれど、「いいか、付き合いというのは、自分だけのものじゃないんだ。家族みんながまちの人のお世話になるということ。だから、つながりというのは大事にしなきゃならねんだ」なんて、おやっさんたちに言われると、妙に納得しちゃうんだよね。

まちの様子は変わっても義理と人情は今も生き続けている

先輩方からさまざまなことを学ぶなかで、受け継ぎ、守ってきたことはどんなことですか?

義理、人情だね。誰かに何かを紹介してもらったら、その人の顔に泥を塗るようなことは絶対にしちゃならない。そして、その義理をちゃんと返していく。1回きりのつながりにしちゃあいけないんだよ。それが人情ってもんだ。こういうことを、ちゃんと伝えていきたいね。それから、中洲には三大無くしちゃいけないものというのがあるの。「金刀比羅宮」「町会事務所」「神田祭」。この3つは何がなんでも守り、そして次の世代に渡していかなければならない。

金刀比羅宮の玉垣には、数多くの料亭や割烹の名前が刻まれていて、建立当時の中洲の様子を伺い知ることのできる貴重な史跡ですよね。その金刀比羅宮の隣にあるのが町会事務所。そして、神田祭の拠点もこの場所です。

神田祭では、中洲の神輿は誰でも自由に担げるっていうのが自慢でね。引っ越してきたばかりの人でもお年寄りでもどうぞと。よく、神輿の花棒が取れないなんて話も聞くけど、うちの町会はみんなで交代しながら花棒を担ぐことができる。祭りにはじめて参加した人でも楽しめるように、青年部が中心になって盛り上げてくれているのが頼もしくてね。いい町会だよ。

増田さんが所属されている日本橋消防団といえば、江戸時代の町火消がルーツだとか。現在、団員は何名くらいいらっしゃるのですか?

150名ほどいます。自らの手でまちを火災から守るという意識は江戸の頃から受け継がれていて、いまもいざというときのための防災訓練や消火指導も怠りません。なんといってもこの浜町・中洲エリアが管轄の日本橋消防署浜町出張所には、水難消防艇「はまかぜ」「きよす」の2艇が配備されています。地上だけではなく、水上からまちを守ってくれる頼もしい存在がいるまちでもあるんですよね。

日本橋消防団は、中央区内在住、在勤、在学で18歳以上の健康な方であればどなたでも入団できます。女性ももちろん歓迎。みんな気風のいい人たちばかりだから、すぐに仲間になれる。近所の隠れた名店なども教えてくれますよ。

隠れた名店気になります!増田さんのお気に入りのお店はありますか?

私のお気に入りは洋食屋の「flax(フラックス)」。オムライスや豚肉の生姜焼もおすすめですが、お酒を飲みながら食べるピザや肉料理が美味しくて。自分は昔からしょっちゅう行っています。今の若旦那の作る料理も美味しい!ここは間違いなくおすすめです。

最後に、このまちに期待することをぜひお聞かせください。

日本橋浜町界隈は、昔から伝統があり、文化の発信地でもある場所。それをずっと続けていってほしいし、自分もその手助けをしたいと思っています。何度も言いますが、自分が生きているかぎり、義理と人情の大切さは伝えていきたいですね。

 

 

日本橋中洲町会

https://nakasu.cho-kai.com/

[取材日:2021.4.22]

写真:鈴木優太 文:堀朋子

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