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皆さんは、「ナウマンゾウ」というゾウの名前を聞いたことはありますか?ナウマンゾウが生息していたのは遥か遥か昔のこと…ですが、その化石は明治時代以降、全国各地で発掘されています。実は私たちが暮らす日本橋浜町も、発掘場所のひとつ。『浜町標本』と名付けられた化石は、いつ、どこで発掘されたのか。本記事でご紹介します。

 

ナウマンゾウってどんなゾウ?

今から約30万~2万年前、日本列島に生息していたナウマンゾウ。ナウマンゾウは、マンモスゾウやアジアゾウとは別に、ヨーロッパやアジアに広がった系統に属し、日本列島が大陸と陸続きになっていたときに、中国北部から渡来してきたと考えられています。日本列島の全域で化石が発見されていることから、多数のナウマンゾウが北海道から九州にいたる日本各地に生息していたことが分かっています。

画像はイメージです

体長は雄で2.4m〜2.8m、雌で約2.0mと現代のゾウより少し小柄。生きていたのは、地球が氷期と間氷期を繰り返していた時代です。激しい気候の変化や氷期の寒さに適応しながらも、約1万7000年前ごろに絶滅してしまいました。

日本で最初にナウマンゾウの化石が見つかったのは明治初期。横須賀で、東京帝国大学(現・東京大学)の地質学教室の初代教授ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって研究、報告されました。このことにより、ナウマンゾウと呼ばれることになったのです。

 

1976年、浜町駅付近でナウマンゾウの化石を発見

日本橋浜町でナウマンゾウの化石が見つかったのは1976年2月。都営新宿線の掘削工事中に浜町駅のホーム北端から30mの地点(日本橋浜町二丁目)で発見されました。発掘された化石は、頭蓋や下顎骨をはじめ100点近く。出土した地層から、約15万年前の東京周辺にはゾウの群れがいたことが分かったのです。

画像はイメージです

「浜町標本」と名づけられた化石には、少なくとも3個体分の骨が含まれており、さらに、同一個体で頭蓋、体軸、体肢といった全体骨格が発見されたのは全国でも初めてのこと。調査後に復元作業も行われ、肩と腰の位置が高く、ずんぐりとしたナウマンゾウの体型的特徴がより明確になりました。

復元されたナウマンゾウは、肩の高さは1.9mと、比較的小柄。頭骨、牙、臼歯の生え変わり方や体格などから40歳代の雌であるとされています。浜町標本は、大昔の東京周辺に生息していたナウマンゾウの特徴を知ることができる、大変貴重な標本なのです。

 

現在は浜町を離れ、八王子市で保管

学術的にも貴重とされるナウマンゾウの浜町標本は、調査後、東京都高尾自然科学博物館に保管されていました。しかし、2004年の閉館に伴って八王子市に移管。現在は八王子教育委員会の管理のもと、稲荷山行政資料保管等施設で保管されています。

 

『浜町標本』を後世に伝えるプロジェクトを発足

私たちが暮らすまちの太古の様子を知る手がかりとなるナウマンゾウの化石。その貴重な歴史的遺産「浜町標本」についてを知り、できるだけ多くの方に見てもらい、そして後世に受け継ごうという活動が現在、行われています。

 

 

2021年、一般社団法人日本橋浜町エリアマネジメント内で地域歴史勉強会が発足され、識者を交えながら「浜町標本」について学ぶ歴史勉強会を開催。これまで計3回の勉強会が行われました。

また、2023年2月にナウマンゾウの化石『浜町標本』発掘の地であることを示す案内看板を設置しました。

 

遥か15万年前、ここ浜町はナウマンゾウが暮らすまちだった。太古に思いを馳せながら、地球の歴史に触れられる場所として、浜町はこれからさらに魅力あるまちになりそうです。

 


文章:堀 朋子

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