■浜町の歩みを辿る連載スタート!
江戸時代から歴史が続く浜町。ときには武士が暮らし、ときには芸妓が闊歩し、役者や作家にも愛された魅力あふれる街。
この連載では、全4回にわたり、江戸から令和までの浜町の歩みを辿ります。初回となる今回は、江戸〜明治時代(16世紀〜19世紀)の歴史についてお届けします。
■浜町のはじまり
江戸時代は広大な大名屋敷や蔵屋敷などが立ち並んでいた浜町。人形町など、職人たちが暮らす近隣の下町とは異なる、閑静な佇まいが広がっていました。約260年続いた幕藩体制は廃止されると、浜町界隈は一変。明治維新後、正式に「浜町」という町名がつき、大名屋敷の土地は民間に払い下げられることになったのです。
提供:国立国会図書館ウェブサイト
その跡地に建てられたのが、各式ある料亭や飲食店。日本橋に隣接する地の利と大川(隅田川)に面した風光明媚な土地柄もあり、華やかな料亭文化がこの地で開くこととなりました。
当時、このあたりの敷地を占めていたとされるのが、新政府設立の一翼を担った「薩長土肥」の旧藩主たち。中でも広大な敷地を占めていたとされるのが、肥後熊本藩の最後の藩主である細川 護久(15,795坪)。次いで島津 忠義(13,794坪)、井上 馨(11,303坪)等が、主な地主であったと記録されています。
■江戸〜明治時代、浜町に縁のある歴史上の人物
時代とともに変化を遂げてきた浜町は、多くの偉人たちに親しまれてきた街でもありました。浜町とどのように関わり、どんな生涯を辿ってきたのか。この時代に活躍した偉人たちの人生を覗いてみましょう。
①井上 馨(1836〜1915)
提供:国立国会図書館ウェブサイト
-生涯国政に関わった時代の開拓者
長州藩士として高杉晋作らとともに、幕末の尊王攘夷運動に参加した井上馨。維新後は参与、大蔵大輔などを歴任。実業界とも深い繋がりを持ち、鉄道事業などにも関わったとされています。
第一次伊藤内閣の外相として欧化政策を展開し、不平等条約の改正に奔走。その活動が評価され、引退後も元老として国政に関与していたそう。明治維新後、民間に払い下げられた浜町の武家地の最初の保有者とも言われ、蛎殻町と浜町を繋ぐ蠣浜橋(かきはまばし)の建設に尽力しました。
②川上 貞奴(1871〜1946)
提供:国立国会図書館ウェブサイト
-芸妓から女優へ。時の総理大臣も虜に
芸妓の花街として、明治・昭和中期まで大いに賑わっていた浜町界隈。その中で、もっとも人気を集めた芸妓として知られるのが川上貞奴です。芳町(現・人形町)の芸妓置屋「浜田屋」の養女として育ち、芸妓に。時の総理大臣、伊藤博文も贔屓にするほどの人気ぶりだったそう。
興行師で新派劇の父と呼ばれる川上音二郎と結婚し、女優として欧米興行へ。日本初の女優として国内外で一世風靡し、大正6年、浜町の明治座にて引退興行を行なったと言われています。
次回は、大正時代の歴史を振り返ります。
この連載は、地域情報誌BRIDGE014号から一部を抜粋しています。本誌は下記よりご覧いただけますので、合わせてお楽しみください。